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日本薬局方 グリセリンカリ液
(ベルツ水)

箱根 富士屋ホテル = 堤勝雄撮影
2003年1月30日 朝日新聞 (夕刊)

日本遺産と温泉の旅  箱根
『 内外で愛された湯と景観 』 より


……早朝に品川をたって保土ケ谷か戸塚に、2日目は小田原に泊まって、3日目に初めて湯本に着く。病人などはもう1日……。
明治生まれの作家、岡本綺堂は、江戸時代の東京から箱根湯本までの湯治の旅を、1931(昭和6)年7月23日の朝日新聞にこう記している。もちろん全行程歩き。箱根温泉郷の入り口となっている湯本まででさえ、こんなに時間がかかった。
正月2日の箱根駅伝は、湯本からさらに急坂を芦ノ湖畔まで、都心からだと110キロの距離を5時間半ほどで駆け抜ける。二つの時間はちょっと比較のしようがないが。
綺堂が幼かった明治の初めごろ、横浜に居留していた外国人は、まだ移動を制限されていた。温泉での病気治療を理由に許されたのが、箱根、熱海への旅行だった。かごが乗合馬車に代わり、道路が整備されるにつれ、湯本を訪れる外国人客は増えた。富士山の景観と、豊かな温泉は大きな魅力だったのだ。
湯本とともに箱根七湯の一つに数えられる宮ノ下温泉に、外国人専門の旅館として富士屋ホテルが開業したのは、1878(明治11)年。日本のリゾートホテルの草分け。箱根が国際的観光地として発展する先駆けとなった。
ホテルは和洋折衷の建築。外観は、明治から大正初期の面影を残しているという。天守か仏閣を思わせる重厚な唐破風の屋根に圧倒−される。宿泊客サイン帳には、チャプリンやヘレン・ケラーなど著名人の名が。日本医学の父といわれるドイツの医学者ベルツも、温泉療養法の研究で明治の箱根をたびたび訪れた。富士屋ホテルに滞在中、女性従業員の手荒れを見て調合したのが「ベルツ水」。その後長く女性に愛されることになる。
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