2002年9月1日
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赤穂トライアスロン大会 成績

スイムは海水の池を1周半、バイクは公園内5km道路を8周、ランは2kmを5周する。周回コースなので、付き添いの方には見る場面の多い良いコース。

赤穂トライアスロン 2002年 9月 1日 3時間5分 完走

初参加のトライアスロンに向けて、夏休みにRun300km・Swim24km・Bike240kmのトレーニング目標を立てる。Swimは18.5kmで目標には及ばなかったが、Run・Bikeはかろうじて達成し、完走に不安のない仕上り具合。前日より楽しみでしかたない。

10時過ぎ赤穂に入る。今から300年前の1702年(元禄15年)12月14日に吉良邸に討ち入り、めでたく本懐を遂げた「忠臣蔵」赤穂浪士の町である。私の誕生日も12月14日。300年後この地を選び、初のトライアスロンに挑むのは、まったくの偶然である。赤穂大会を選んだのは日帰り参加が可能な事と、夏期トレーニングの目標として最適の大会であったからである。
「第1目標は完走」、「第2目標は2時間台でのGoal」とする。

本日は2部制。午前36km・午後51.5kmの2大会が行なわれる。
大会本部受付に行く時には、10時スタートの1部選手が競技中。
大会の雰囲気を少々味わい、受付でゼッケン等をもらう。二の腕にNo.278をマジックで記入してもらい、さらにトライアスロンの雰囲気が増してくる。説明会後、自転車等をトランジションエリアに配置。
ウエットスーツを着用し、水中のSwimスタート地点に向かう。
フルマラソンに比べれば参加選手が若く、30歳前後の方が中心だ。

Swimで2〜3の失敗。早めにスタート地点に向かった為に前列に並んでしまい、バトルに少々巻き込まれ体力消耗。さらに、泳ぐ事で頭が一杯で目標物の確認を忘れており、まったく違う方向に進んだ為
何度もコース内にひき返し余分に泳ぐはめになり、体力さらに消耗。
その上に強風で波が立ち何度も海水を飲む。落ち着きを取り戻し、マイペースで目標物を確認しながら泳げるようになった時には、残り500m程に。この時点から大会を楽しむ事が出来るようになった。
上陸後Bikeへ。しかし、スムーズに移行できない。ウエットスーツがまとわり付き脱げない。着替えているのか休憩しているのかわからない。着替えに5分程度要す事に。他の選手は次々スタート、Bikeの数がどんどん減っていく。Bikeコースは公園内の5kmコースを8周。時速30Kmを目標に、メーターとにらみ合いが続く。強風でスピードは上がらないが、8周40kmを1時間23分(平均時速30km)予定通りのタイムで気持ちよくフィニッシュ。スタートより2時間数分が経過。

残りはRunの10km(2km5周)だけになり、Goalが見えてくる。
しかし、Bike直後は筋肉がRunに対応できずギクシャクした走りに。10km走とは思えないスローペース。夏休み練習していたスピード6.5km/分から脱出できず「ジョギングペース」が続く。
今まで2時間の疲労が蓄積されているのであろう、ノロノロスピードをキープしてGoal。3時間5分で、第一目標達成。

Runのタイム短縮とトランジションタイム短縮が次回の課題となる。
今回の反省点は、Swimコースを陸上からは確認していたが水中では見失って泳いでいた事と、普段のトレーニングでは癖になっている腕時計のラップタイムを押すのを忘れていた事の2点。
Bike走行の40kmは各自スピードメーターの距離計で確認する為、Bikeスタート時にスタッフの方に声をかけていただきスイッチを押していたが、腕時計はBike終了時まで押す事に気がつかなかった。競技の切替が気になり、余裕がなくパニックになっていたのかも。

51.5kmはフルマラソンよりも終了後の筋肉痛は楽で快適な疲労感。
今回も写真を撮影・荷物運搬してくれた家族と帰路に。
渋滞なしで2時間、三宅インターに到着。

瀬戸内海に面した会場;兵庫県立赤穂海浜公園と赤穂城跡

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